鳥山明の嫁は元漫画家のみかみなち!かめはめ波の命名者で3人の母!

鳥山明先生の奥さんのみかみなち先生について 俳優

日本のみならず世界中で愛される日本の漫画の数々。

その筆頭と言えばドラゴンボールではないでしょうか。

ドラゴンボールの作者・鳥山明先生は他の作品でも有名な方ですが、表に出ることをあまり好まず、プライベートはあまり知られていません。

そこで今回は、鳥山明先生の奥さまやお子さんに注目しました。

どんなご家族がいらっしゃるのか?

見てまいりましょう!

鳥山明の嫁は元漫画家のみかみなち!

みかみなち先生

引用元:X

鳥山明先生の奥さん(嫁)は、元漫画家のみかみなち先生です。

名前:鳥山由美(とりやまよしみ)
旧姓:加藤(かとう)
ペンネーム:みかみなち
出身地:愛知県名古屋市
デビュー作:モーニングキッスは恋の味

みかみなち先生は、漫画家として1976年にデビュー。

1982年に鳥山明先生とご結婚され、1985年に漫画家を引退されています。

出会いのきっかけは「鳥山明先生からのいたずら電話

おちゃめですね。

鳥山明先生は「あのセンスと知識にはかなわない」と、妻であるみかみなち先生のことを評しています。

ちなみに、鳥山明先生はショートカットが好みだそうです。

みかみなち先生の作品は主に少女漫画で

・花咲け!三銃士
・青春のハーモニー
・キッスは悪魔の贈り物
・上を下へのロックンロール
・御姫様は眠れない
・聖メフィスト混乱伝
・銀星団☆天を行く!

などワクワクする作品がたくさん!

読み切りの作品が多く、花とゆめ、Cicy、Lalaなどに連載されていました。

みかみなちは「かめはめ波」命名者

みかみなち先生の作品

引用元:Amazon

ドラゴンボールで登場する、有名すぎる技と言えばかめはめ波

攻撃の名前を考案したのが、奥さんであるみかみなち先生だったと言われています。

亀仙人の必殺技なので「カメ」を入れることは必須だったそうです。

「カメハメハ」は、ハワイ諸島の王「カメハメハ大王」から来ています。

ばかばかしくて亀仙人らしい」という理由で採用されました。

当初は「ハワイの人に怒られないか心配だった」そうですが「正義の技なので大丈夫だろう」ということでそのまま命名した鳥山明先生。

今となっては有名すぎる技ですが、鳥山明先生ご自身ではなくてみかみなち先生が命名者だったとは驚きです。

みかみなち先生の漫画愛がよく分かるエピソードですね。

みかみなちと鳥山明には息子1人と娘2人が居る

鳥山明先生

引用元:X

みかみなち先生と鳥山明先生には、息子さん1人、娘さん2人がいらっしゃいます。

長男の佐助(さすけ)さんは1987年3月23日生まれ、長女のきっかさんは1990年生まれです。

鳥山明先生がキャラクターデザインを手掛けているドラゴンクエストでは、スライムを仲間にした時に「アキーラ」から「サスケ」になります。

これは明らかに、鳥山アキーラ、鳥山サスケが由来ですよね。

長男の佐助さんは現在、鳥山明先生のバードスタジオを継いでいる?という話があります。

また、長女のきっかさんは元イラストレーター・画家で、人気アーティストのグッズデザインなどを手掛けていらっしゃいました。

鳥山明のアイデアは子供からも影響されている?

コーヒーとパソコン

引用元:Unsplash

鳥山明先生の作品・ドラゴンボールには、「ギニュー特戦隊」「超サイヤ人」などの人気キャラクターが登場します。

ギニュー特戦隊といえば、フリーザの配下に居る凶悪な戦隊です。

これらのキャラクターの発案には「子どもと一緒に見た特撮モノが影響している」のだとか!

かめはめ波の命名も、キャラクター発案も、家族総出で鳥山明作品に向き合っていらっしゃったことがよく分かります。

あれだけの人気作品に影響できる環境ってすごいですよね。

鳥山明のプロフィール

鳥山明先生

引用元:X

鳥山明先生のプロフィールです。

名前:鳥山明(とりやまあきら)※本名
生年月日:1955年4月5日(2024年3月時点で68歳)
出身地:愛知県清須市
血液型:A型
デビュー作:ワンダーアイランド(1978年週刊少年ジャンプ)
尊敬している漫画家:手塚治虫、ウォルト・ディズニー

鳥山明先生の代表作と言えば、ドラゴンボールDr.スランプアラレちゃんなど。

デザイナーとしても手腕を発揮され、ドラゴンクエストシリーズのゲームキャラクターデザインを手掛けられました。

鳥山明の昔は?

幼少期からアニメを書くことが大好きだった鳥山明先生。

通っていた絵画教室や小学校・高校の写生コンクールで入賞し、自信をつけられていきました。

高校は愛知県立起工業高等学校(現在の愛知県立一宮工科高等学校)へ進学。

漫画研究会に所属し、映画やテレビドラマに興味をお持ちだったそうです。

高校卒業後には広告関係のデザイン会社「第一紙行名古屋支店」にデザイナーとして就職されました。

1977年に退職後はアルバイトえおしながらイラストを手掛ける生活を送っていましたが、その時にたまたま手に取った週刊少年マガジンで新人賞の応募を見つけたことが漫画を書き始めたきっかけ。

23歳からついに漫画家としてのキャリアがスタートしました。

まとめ

偉大なる鳥山明先生の奥さんであるみかみなち先生。

ご自身も漫画家として、そして妻として公私ともにサポートされていらっしゃいました。

鳥山明先生ご自身の力はもちろん、みかみなち先生の内助の功があってこそ、今の絶大なる人気作品が支えられているんですね。

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