2020年秋からスタートするNHK連続テレビ小説「おちょやん」。
またもや楽しみな情報が入って今からわくわくしますね。
主演の杉咲花さんが演じるのは、喜劇女優「竹井千代」です。
今回は、竹井千代のモデルになった「浪花千栄子」さんについて、色々調べてみました!
浪花千栄子ってどんな人?画像は?
浪花千栄子さんは、大正から昭和にかけて活躍した喜劇女優。
画像はこちら。

「大阪のお母さん」として親しまれ、上方女優の代名詞と言われる方です。
ドラマのタイトルになっている「おちょやん」とは「おちょぼさん」という意味の大阪弁。
「おちょぼさん」っていうのは、料亭や茶屋で働く若い女中さんという意味なんです。
「おちょぼはん」とかも言いますね。
関西で今でも愛される名女優さんです。
浪花千栄子ってどんな人?
ここからは浪花千栄子さんの生涯を詳細に見ていきましょう!
浪花千栄子のプロフィール

- 本名は「南光(なんこう)キクノ」
- 芸名は「なにわちえこ」
- 1907年11月19日生まれ
- 大阪府南河内郡大伴村(現・富田林)出身
- 1973年12月22日没
養鶏場を営む家に生まれた浪花千栄子さん。
8歳の時に道頓堀の弁当屋に女中奉公に出され、しばらく女給(客の接待役)として働いていました。
女中奉公とは、住み込みのバイトで「おちょやん」です。
実家にもあまり帰れない仕事だし、8歳から労働していたなんて、今の感覚だと過酷ですよね。
また、貧しくて小学校教育が十分に受けられず、読み書きで苦労したよう。
浪花千栄子さんの転機は18歳のとき。
村田栄子一座という旅回りの劇団に入ったことで、本格的に芸能界に足を踏み入れました。
実はその前にも芸能プロダクションに入っていましたが、会社がすぐに倒産。
潰れる前にそこの監督から「君はこの仕事に向いてるよ」と言われたため、一座に入りました。
ここから、浪花千栄子さんの女優人生がスタートしたんですね!
村田栄子一座では「香住千栄子(かすみちえこ)」として活躍し「帰ってきた英雄」など数々の映画に出演しました。
しかし、給与未払い問題があり、映画界からは姿を消してしまいます。
ちなみに、本名が「なんこうきくの」ということでオロナイン軟膏のホーロー看板に登場しています。

「軟膏、効くの」だなんて、シャレがきいていますね!
これが「昭和の怪女優」と呼ばれた浪花千栄子さんの生涯です。
浪花千栄子の結婚
1930年からは「松竹家庭劇」という松竹の傘下の喜劇劇団に参加。
同年、2代目渋谷天外と結婚しました。

雰囲気がダンディですよね。
養女の輝美さんを迎え、幸せになったのも束の間。旦那の渋谷天外さんが、女優の九重京子さんとの間に子供が出来てしまいます。
それにより浪花千栄子さんと渋谷天外さんは離婚。1951年、松竹新喜劇を対談します。
昔は、女性が自立して、しかも子供を抱えて生きるのって今以上に大変だったと思います。
浪花千栄子さんのたくましさが分かりますよね。
旦那が婚外子作ったら、そりゃ一緒に暮らしていきたくないですよね。
今の3代目渋谷天外さんはこちら。

エールやまんぷくにも出ていました。
浪花千栄子の女優生活

離婚後しばらく、芸能界から姿を消していました。
しかし、NHKラジオ「アチャコ青春手帖」で復活しました。
これが人気を博し、その後も数々の映画やテレビに出演。
「祇園囃子(ぎおんばやし)」ではブルーリボン助演女優賞を獲得するなど大活躍。
黒澤明監督の「蜘蛛素性」での妖婆の役や、森繁久彌さんと共演した「夫婦善哉」など、人気女優として順調なキャリアを積みました。
夫婦善哉と言えば、今も法善寺横丁の名物ですよね!

なにわガールは、縁結びの願掛けでお世話になっている人も多いはずw
その後、京都の嵐山に「竹生(ちくぶ)」という旅館を開業しています。
1973年12月22日、消化管出血のため66愛で逝去しています。
亡くなった後、勲四等瑞宝章を受章しています。
浪花千栄子の夫や子供の現在は?
先述の通り、2代目渋谷天外さんと結婚していた浪花千栄子さん。
それ以降、結婚したとの情報はありません。
一方の渋谷天外さんは、離婚の原因となった新人女優・九重京子さんと再婚しています。
1948年には「松竹新喜劇」を旗揚げし、看板俳優・作家として活躍。
「上方の喜劇王」と呼ばれるほどの実力でした。
1983年に76歳で亡くなっています。
また、浪花千栄子さんの養女・輝美さんですが、現在は何をされているのか情報がありません。
嵐山の旅館・竹生は1995年よりも前に処分して廃館しています。
浪花千栄子さんの面影を感じられる場所になっているようです。
まとめ
杉咲花さんの演技が楽しみですね!